故石上禮男先生


石上禮男先生は昭和28年6月、21才にしてこのコンセール・リベルテを創立しました。

石上禮男先生は日本の吹奏楽界に市民バンドという新しいジャンルを開拓し、吹奏楽CD、バンドクリニックの企画など、周囲にお手本のない時代にクリエイティブな活躍をされていました。

 

「石上禮男先生の足跡」

昭和28年6月  コンセールリベルテを創立。

昭和32年  静岡国体を機に静岡県吹奏楽連盟組織化に参加。

昭和35年  ニッカン(株)指導講師に転職 県立島田商業高校を指導。

昭和40年  名古屋市に転居 ヤマハでバンド指導を担当。長崎で開かれた全日本吹奏楽コンクールで

       コンセール・リベルテを指揮。3位入賞。

昭和41年  岐阜農林高校非常勤講師(県職員)を兼務。岐阜県コンクール高校の部で優勝。

      岐阜国体委嘱バンド指導講師(兼任)。

昭和42年  福井国体委嘱バンド指導講師(兼任)。

      名古屋祭パレードとバンドフェスティバルを企画、初代プロデューサーを務める。

昭和43年  日本楽器製造(株)(現ヤマハ)正社員になる。アメリカバンド視察。

昭和44年  岐阜市/高山市/小松市に市民バンドを発足させる。

昭和45年  「名古屋バンドクリニック」を創設。名古屋ディレクターバンド創設に参加。

昭和46年  「社会人バンドキャンプ」を企画(ネム)

昭和47年  ヤマハ(株)浜松本社に転勤。管楽器普及業務担当。「日本バンドクリニック」を企画。

       初代事務長を務める。「ニューサウンズ・イン・ブラス」を企画。岩井直溥氏と共にポップ

       スクリニックを全国で展開する。

昭和49年  シンガポールにバンド指導で滞在。ミッドウェストクリニックに参加(2度目)。

昭和51年  映画「アメリカ高校バンドの記録」制作。

昭和52年  「バンド百選カタログ」創刊。 

昭和53年  ヤマハ株式会社神戸支店に転勤。

昭和54年  コンセール・リベルテ創立25周年を機に運営の第一線から引退。

昭和59年  コンセール・リベルテ創立30周年を記念してハワイ公演を開催。

昭和62年  ミッドウェストクリニック参加。(以後毎年)年末付けでヤマハを依願退職。

平成 2年  東芝EMI吹奏楽CD「マスターピースシリーズ」を企画。編集/監修。

平成 4年  アメリカの有名6大学で録音実施/監督。イリノイ大/テンプル大を指揮。

平成13年 8月2日午前6時27分、急性腎不全のため療養中の名古屋市内の病院で亡くなりました。